『存在』そのもの

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『存在』そのもの

日本語を研究している外国人に「日本語は話すには簡単だが、書くのがとても難しい」と言われたことがある。
「話すのが簡単?」と思わず復唱してしまった。

これまで、日本語は難しいということを聞いたことがあるが、簡単というのを耳にしたのが初めてだったから驚いてしまった。

日本語を話す場合、助詞や付属語はさほど必要ではなく、意外なことに「私、東京、行く」など単語の羅列だけで充分だという。

そう言えば、昔の父親は「めし、風呂、寝る」の3語の言葉だけで一日を過ごす、というのがあった。

そんな風で、日本語として充分にコミュニケーションがとれるそうである。

それが書き言葉になると、付属語も必要となってくるし漢字も書けないといけない。


この漢字がくせ者らしい。
外国人にとっては、なかなか覚えられないそうだ。


漢字と言えば、一時期の漢字ブームは去ってしまったが、根強い魅力が横たわっている。

漢字には、とっつきにくいところがあるが、漢字を面白くしてくれた学者に白川静氏がいる。

この白川氏、甲骨文字や金文といった草創期の漢字の成り立ちに於いて宗教的、呪術的なものが背景にあったと主張。
「口(さい)」の発見など、これがなかなか面白い。

私が好きなところでいえば、
たとえば、「才」という文字を含む『存在』という言葉、この文字は、神によって祝福されたもの、清められたものという意味合いがある、と。

すなわち、いかなる『存在』であるとしても清められ、祝福された立場で存在しているものなのだということを意味していると言う。


このような考え方は、それまでの中国学者から、かなり批判されたそうだ。

と言うのも、それまでの学説では、象形文字,指事文字,会意文字,形声文字といった考え方が主流で、人が神に願いをかけるなどの呪術的要素に関しては、意識だにしていなかったからである。

このような考え方が、清潔鋁窗漢字をダイナミックなものに変えたのは事実。


ふと、マザー?テレサがインドの街頭でのたれている人に語った言葉とあい通じるものを感じる。

その言葉、

「あなたは、自分がつまらないもののように思っているかもしれない。

だけど、そんなあなたも、祝福されていて、鋁窗顏色生きていく権利があるのですよ」

と言いながら、野たれている人をシェルターと呼ばれる避難施設に連れて行ったそうだ。


『存在』していること、それ自体が、借錢計算もう既に祝福されている。







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